ホームページで公開していた「園長のつぶやき」。
最近ブログに移ってきました!
ホームページの過去の「園長のつぶやき」をまとめました!
一気読みしちゃってください!
広島市へ行ってきました。保育研究大会に参加するためです。せっかくの広島だから、少し時間を取って市内を歩いてみようと思っていきました。もちろん、平和記念公園は何はともあれです。今回が2回目の事でした。原爆死没者慰霊碑の前に立ったらはからずも鼻の奥がツーンとしました。原爆ドーム、資料館、一人で私のペースで丁寧に見学させてもらいました。原爆投下という計り知れない厳しさから60年以上がたち、広島の市内は広い道路、並木が美しく整備されています。すべてが新しく生まれ変わったということだけでなく、戦国時代の息吹も感じます。新しいけど古さもある、外反母趾の足の痛さを感じながら広島の街を歩きこんなことを感じてきました。
26.7.15
わが町の住人達はこぞって魚河岸シャツを着ています。市役所の職員、信用金庫の社員はこの季節はこれがユニフォームになります。今日、用事があって呉服屋さんに行ったら、駐車場はいっぱい、店内は押すな押すなの盛況ぶり。魚河岸シャツは生地を購入して自分で縫う人が多いらしいです。いつもの棚はすべて魚河岸の模様でした。私はへそ曲がりなので1枚も持っていませんし、また、着る気にもならない。だって港町に住んでいるという意識はほとんどなく、むしろ、山の恩恵を受けて育ったという自負がある。だからこそ、魚河岸シャツは私が着るべきではないと固く思い定めているところです。だからと言ってわが町に思い入れがないわけではないです。震災以降、人口が減り、地震への備えに津波の想定が含まれるに至ってもわが故郷であります。
26.7.12
26.7.12
保育研究大会が甲府市で開催されたので行ってきました。台風の行方を気にしながらの2日間になりましたが、各地での被害の状況は報道されるのに静岡県の状況が報道されませんでした。ということは台風に備えての諸準備も杞憂に終わったということですね。持って行った傘は強風にあおられて壊れてもいいやという不心得により持って行ったものでしたが、唯一、仕事をしたのはバスのトイレ休憩時にトイレまで行くのに使ったくらい。短時間だったので無事でした。夜は降ったかどうかも知らず、朝目覚めれば晴天。こりゃ暑くなるぞと思いながらも会場は空調が行き届き、快適でした。終了後、外へ出たら、なんだ、この暑さは!盆地特有のまとわりつくような暑さです。急に暑くなったので地元の放送局が取材に出ていました。私の少し前を歩いていた知り合いの園長がつかまっていました。あとで聞いたらやっぱり暑さの取材だったとか。でも残念。NHK甲府放送局の取材だから帰宅後の静岡のニュースには乗らないねえ。
26.7.8
26.7.8
昭和の子どもですが、高度経済成長期に子ども時代を過ごしたので知っている遊びが中途半端です。まりつき(鞠をつきながら歌ううたに♪1銭切符~というのがあった)、お手玉、おはじき、あやとり、それらがエキスパートには、なっていません。私の傾向もあったかもしれませんが、「きいちのぬりえ」、リカちゃん人形など、技術を必要としないもので遊んでいたように思います。わらべ歌で使うお手玉や諸々を手作りするに当たり、まずはお手玉の作り方がわからない。どこをどう縫うとそうなるのか、やっとの思いで一つ、作りました。
26.7.7
26.7.7
今日は七夕、新暦なので梅雨の真っ盛りですね。旧暦になると夏の暑さの中、芋の葉っぱから露を集めてくることもできますが、里芋の葉っぱもまだ小さいようで。それでも昨日、山から採ってきたきた笹竹に作りためた飾りや短冊を飾って七夕気分を味わっています。短冊に書かれた願い事はいろいろで、家族やわが子の健康や安穏を祈るものから夢を語るものまで。中にはアラブの富豪からの送金を待ちわびているものもあり、にやにやしながら読みました。私は短冊には書いてないけど何を祈ろうかな。家内安全、国家安寧、経済上昇、健康管理、消費税据え置き、運営費増額、、ほかにもあるけどきりがなくなるのでやめます。
26.7.5
26.7.5
座っているだけだと妙にだるい。脛のあたりが何となく、冷えて重い感じがします。マッサージなんかをしてもなかなか、スッキリしません。ちょうど、雨も上がったし、懸案の草取りでもしてこようかなと思い立ち、2時間ほど、作業してきました。そして・・・おや?少しだけ汗をかき、立ったり、しゃがんだりを繰り返していたせいでしょうか、体が軽くなっています。適度な運動こそが体を快適に保つのだなあと改めて思います。見回せば、気になる草がまだ、そこここに。次回のお楽しみにしましょう。
26.7.4
26.7.4
県庁での会議があったので街を歩いていきました。コンビニの前にリクルートスーツの女性が二人。この時期だから就活かなと思っていたら二人とも茶髪、一人は煙草を吸っています。靴の先っぽは、えらくとんがり、メッシュになっています。持っているバッグはブランド物で髪を束ねているシュシュはヒョウ柄。ま、こんな状況がそろっていればいかにリクルートスーツでも就活ではないなと思い直しました。そういえば就活もひと段落したのでしょう、あまり見かけなくなりました。そのうち、再び、街にリクルートスーツがあふれてくるのかもしれません。どうか、自己実現できる仕事につけますように。
26.7.3
26.7.3
わが子とどうやって関わったらいいのかわからなくなる、思い描いていた子育てとずいぶん違うじゃないか。時としてぶつかる壁です。親になると皆、どこかでその壁にぶつかっているのではないでしょうか。アドバイスはほしいけれど、所詮他人事でしょとやさぐれたくなる気持ちもあり、親としての気持ちのありようをどこに持っていったらいいのか、わからなくなりますね。どうしていけばいいのか、その解決法は自分の中にあるのもわかっている。でも誰かに聞いてほしい、道を示してほしいと悩まれている方も多いのではないでしょうか。そんな思いに寄り添う、言葉では簡単だけど受け止めていくという立場もまた、その力を培っていかねばならないのです。
26.7.1
26.7.1
プールが組み立てられてからずいぶん経つのに水遊びをしようというまでには暑くならず、ちょっとしたシャワーと着替えで済んでしまう、いわば快適な日々です。暑くなる心配よりもゲリラ豪雨のほうが心配になります。どうか私が上京しているときはそんなことがないように・・・とニュースを見ながら思っています。今年の夏は猛暑なのか、冷夏なのか、よくわからないこの頃の陽気ですね。掛布団を夏掛けに交換できないまま7月を迎えてしまった。
26.6.30
26.6.30
「六月みそかは年の臍」なのだそうです。平成26年も今日で折り返し。保育の仕事は4月から3月というサイクルの中で行われるので6月はようやく充実に向かっているという感じです。様々な組織の総会が終わり、本格始動に入るという時期でもあります。でも時々、カレンダーの枚数を確認しておかないとあっという間に年賀はがきの購入の時期を迎えてしまいます。気持ちも行動もそこまでに至らないままに新しいカレンダーを買わなければならなくなります。月日をどう重ねていくか、ちょっとだけ、考えてしまった。
26.6.27
26.6.27
プランターのあちこちから芽を出しているのは、イソトマ、オジギ草、フウセンカズラ、ペチュニア、等々。こぼれた種が芽を出すとその生命力に感心します。たいして手もかけていなかったのに、期待もされていなかったのに、その健気さは放っておくには忍びない。そこで移植します。本人たちに言わせればここで納得して芽を出しているのだから「置かれた場所で咲きなさい」を実践したい・・・というところでしょうか。園内の花壇の花の中にはこうやって代々、咲き続けているものもあります。園庭に出ては花壇の隅っこを探し、芽を出しているのに気づくこの頃です。
26.6.25 今日は県の指導監査、書類の提出が終わると手元の資料や書類に不備がないかと確認し、当日を迎えます。実は先日、当園の保育について声高に語る機会を得、それを聞いていた方が本日の監査を担当してくださいました。まずい・・・言ってることとやってることに齟齬があったらどうしようと内心ちょいと不安を抱えていましたが、職員たちがきちんと対応してくれていて「確かに話されていた通りにやっていますね。」と言っていただくことができました。保育園はみんなのチームワークで成り立ちます。今日は職員たちのきめ細かい配慮が行き届いた当園を見ていただくことができ、とてもうれしかったです。
26.6.24
26.6.25 今日は県の指導監査、書類の提出が終わると手元の資料や書類に不備がないかと確認し、当日を迎えます。実は先日、当園の保育について声高に語る機会を得、それを聞いていた方が本日の監査を担当してくださいました。まずい・・・言ってることとやってることに齟齬があったらどうしようと内心ちょいと不安を抱えていましたが、職員たちがきちんと対応してくれていて「確かに話されていた通りにやっていますね。」と言っていただくことができました。保育園はみんなのチームワークで成り立ちます。今日は職員たちのきめ細かい配慮が行き届いた当園を見ていただくことができ、とてもうれしかったです。
26.6.24
出かける日と出かけないでいい日、服装に差がありすぎるようです。一応、きちんとした会議だったりするとジャケットは必要ですね。それに合わせるとスカート着用が多くなります。少しだけ気持ちが楽な会議や研修はカジュアルに、お茶のお稽古が入っている日は朝からスカートです。スカートに合わせて上が決まりますね。取り立てて用事もなく、園内で過ごす日は言わずと知れたパンツにポロシャツ、5本指ソックス、とてもわかり易いようです。作業をしなければと思う日は着替えとか、手拭いとか多めに用意して・・・服装は今日の心構えでもあります。出がけに全身を確かめて気持ちを切り替えるのです。
26.6.17
26.6.17
ブログでも書いていますが、今日は恒例のアジサイを描く日でした。昨日の夕方から集まりだしたアジサイを一枝一枝、花瓶に活けて、今朝も年齢を超えて持ってきてくれたアジサイを園内中の花瓶を集めて飾りました。年長クラスの担任だけでなく、職員が皆で飾り付けを行いました。新人保育士はこの時が研修のときでもあるので保育の現場を離れます。ということはそこをフォローする人が必要なわけで一時保育も支援センターも学童クラブも職員室もみんなで手分けして保育に当たりました。誰がどこに入っても子どもたちの生活が変わらない、それもまた、大切なことなのだと実感しました。
26.6.16
26.6.16
運転中に見かけた「自転車を止めて何やらする人」シリーズ。 その1 高校生くらいの女の子、自転車から降りてそのまま、支えながら、ノートを開いて一生懸命、書き込んでいました。難しい数学の解き方でも思いついたのでしょうか。自転車に乗りながらのスマホよりずっと安全でしたけど。 その2 歩道橋の下に少しだけ高齢のご婦人が自転車を止めて、こちらはスタンドを立てていましたが。一生懸命左右の腕を順番に上げたり下げたり。見るからに体操です。しかし、なぜ、今なのでしょう。なぜ、ここなのでしょう。偶然見かけた二つの光景でした。
26.6.13
26.6.13
今日はクシャミをすると腹筋が痛い。車に乗ろうとすると大腿部が痛い。何かしたっけかな?と振り返ったら、ああそうだった、昨日、久しぶりにラジオ体操を第1・第2通してやったのだったと思い当たりました。最近はすっかりご無沙汰していたのでしたが、それにしてもラジオ体操で筋肉痛など運動不足にもほどがあります。反面、どれだけ正確にやったのかともいえるのではないかと思いますが。先日、久しぶりにお会いした先生に少し、太ったのではないかと言われ、へこまない私がそれを引きずり、そのあとの講演は集中力を欠いてしまいました。情けない話です。年齢にふさわしいカロリー摂取が求められるのであります。
26.6.6
26.6.6
6月6日というと絵描き歌のコックさんを思い浮かべてしまう。同時にこの日は雨ザーザーでなければならないのです。私にとっては。子どものころにおぼえた絵描き歌はほかにもたくさんあります。絵心がなくてもコックさんやおじいさんやお嫁さんや骸骨が描けちゃう不思議、なんとも魅力的でした。さて、梅雨入りです。豪雨のニュースも聞きますが、この辺は大きな雨にはならず、今日は1日、曇り空。動いていれば暑いけどじっとしていればとてもしのぎやすい1日になりました。何事もほどほどがありがたいこの頃です。
26.6.5 駅のホームの立ち食いソバのお店で制服の高校生女子が私服の女子と一緒に食べていました。そういう場所だからいいのだし、不思議ではないけどそれが男子高校生だったら私も何度か、目にしたことがあります。でも女子は今日が初めてでした。噂に聞くととてもおいしいのだそうですね。空腹時におつゆの香りが漂うとたまらないですもんね。当たり前のことが目につく私、案外、人目を気にするたちです。
26.6.3
26.6.5 駅のホームの立ち食いソバのお店で制服の高校生女子が私服の女子と一緒に食べていました。そういう場所だからいいのだし、不思議ではないけどそれが男子高校生だったら私も何度か、目にしたことがあります。でも女子は今日が初めてでした。噂に聞くととてもおいしいのだそうですね。空腹時におつゆの香りが漂うとたまらないですもんね。当たり前のことが目につく私、案外、人目を気にするたちです。
26.6.3
子ども・子育てにかかわる新制度が27年度からスタートします。それに向けて準備が急ピッチに進んでいます。幼保一体化という看板を掲げての制度はそれはそれはたいへんなことで以前から幼保一元化などという言葉で時々、出ては引っ込み、出ては引っ込みしてきたところです。そしていよいよ、これが現実のものとなってきました。連日のように大切なことが決まってきます。一体化とはいえ、現実は様々な形態が認められることになっており、では、どうしたらいいのかと迷う日々です。きちんとした理解をしていれば自分たちにとって最良の方向を見つけることができる・・・そりゃそうだけど、それができれば苦労はしないのであります。要は、これからも運営ができていければよいのであって、そこに集まる子どもたちや保護者達に安心して任せていただける施設であり続ける努力が大切なのだと思っています。
26.5.30
26.5.30
車で走っていた時、ふと、周囲を見たら田植えが済んでいる田んぼがあちこちに。そういえば、お隣さんが早朝、田を起こす耕運機を動かしていたっけ。以前はこの時期になるとあちこちの田んぼで田植えの準備が始まり、夜になると水の入った田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきましたっけ。カエルは今でもにぎやかですが、農作業の姿には気づけなくなりました。私のアンテナが低くなったのでしょうか。それでも蛍舞う季節となり、帰宅後、庭を一巡して蛍探しに励むこの頃です。季節は夏に突入したようですね。
26.5.28
26.5.28
今日は今年度2回目のお茶会でした。前回から時間がたち、今日はまた最初からかなと思って臨みました。前回は楊枝が間に合わなかったし、初めてでもあったので小饅頭でしたが、今日は芍薬を形どった、子どもたちいわく、本物のお菓子です。この日のために保育室では箸を使った移し遊びでうまくお菓子を取り分けられるように練習を重ねてきた子もいました。さて、お客様として入室からお花の拝見、総礼、即立ちなど前回の経験を忘れることなく、取り組むことのできた子どもたちでした。まかぬ種は生えぬ。まさに経験は子どもたちの中で芽をだし、力となっていくことを実感しました。
26.5.27
26.5.27
新緑から万緑に向かう季節、植物の勢いを感じます。園庭の花壇のあちこちから小さな芽が。こぼれた種が芽を出したようです。グリーンカーテンのフウセンカズラはこぼれた種からのものがいつも一番元気に伸びていきます。わざわざ、種をまいたものはどこか、ひ弱で日陰を作るまでにならないのです。そんなわけで今年も花壇ではないところから芽を出したフウセンカズラがグングン大きくなっています。ここに肥料をやって土を肥やして育てているところです。
26.5.24
26.5.24
この時期は総会が目白押し。あの団体、この団体、ま、私が関わるのは保育団体の上から下までのいくつかですが。一会員としての出席は気楽ですが、会を代表する立場にいると多少の緊張感の中にいることになります。議案に質問が出たらどうしようとか、反対されたらどうしようとか、ちょっとだけドキドキしているのです。こう見えても。無事に総会の議事が終了したときには本当にホッとします。そしてまたこの1年、この組織を牽引していくことになるのだと思いを新たにするのです。あと、残っている総会は三つ。無事に終わりますように。
26.5.23
26.5.23
この頃の楽しみは夕食後のテレビを見ることかなあ。お気に入りのドラマは見逃さないようにと近くになると緊張感が走ります。それと面白いなあと思ってみているのが出演者が作った俳句に先生が点数をつけ、添削するというもの。1枚の写真からその情景や背景をよむというものです。俳句なのでお約束をきちんと守りつつ、わずか17音で表現したいことを的確に伝える、「こんなに無駄な言葉を使ってはもったいない。」と容赦なく、削っていく勢いとほんのわずかの言葉を入れ替えるだけで見違えていく様子に面白さよりもむしろ、俳句教室にいるかのような気分にさせられます。私も少しだけ、ひねりますが、名前を読み込んだりするので俳句ではなく、17文字であそぶという程度です。真剣に作ることをしていかないと作る資格すら失ってしまいそう。
26.5.22
26.5.22
運転中、前方にお父さんと男の子のお散歩の姿がありました。スキンヘッドに黒のTシャツ、黒のハープパンツ、今時のお父さんです。あれれ?ひょっとしておんぶしてる?すれ違う時、若干スピードを落として確認したらやはり、赤ちゃんをおんぶしていました。胸に×が付く昔のおんぶ紐ではなく、背負うタイプのものでしたが、バックミラーに映る後ろ姿は普通のおんぶスタイルでした。今時、お母さんたちですらおんぶは少なくなりました。おんぶ紐を前でだきかかえる形で使っている姿を見ると装着がめんどくさそうだと思う昔の母です。格好を気にしない(もしかしたら気にしていたかもしれないけど)その潔い子育てスタイルに陰ながら拍手を送りました。下の子のお守をしながらもお兄ちゃんにきちんと関われるおんぶ、子育てには必須アイテムだと信じてやみません。
26.5.21
26.5.21
本当に何年かぶりで一般の参加者として保育研究大会に参加しました。今までたいてい、主催者側にいたので普通に受付を通ることが新鮮でした。分科会に参加しても気づかいすることなく、自分の学びに集中できます。研究のテーマやねらいについても深く考えることをしてきませんでしたが、改めてこのテーマが狙うものは何だろうと考えたり、研究とは何かと考えたりすることができました。ちょっぴり座りくたびれたのもありましたけど。
26.5.13
26.5.13
50代の女性が二人、集まるとたいてい、健康関連の話になります。体重が落ちない、運動不足、お肌の具合、そんなこんなで話は尽きるところを知りません。いろんな対策も上がりますが、では、何に取り掛かろうかというところまではいかず、お互いの傷をなめ合ってなんとかしなきゃね・・・で終わり。何の解決にもなりません。わかっていることは年齢を重ねてきたということは若いころのままではないということ。つまり、若いころのままの生活をしていては加齢に追いつかないということです。過日、いわれたのが「保育園の食事は育ちざかりの子どもに必要な栄養量で計算されているのだからそれを大人の分量で食べていてはカロリー過多は当然です。」・・・ですよね。
26.5.10
26.5.10
市内の保育園の落成式でした。5月のさわやかな風が吹きわたり、きれいに晴れ上がった空が新しい園舎の完成を寿いでいるように思いました。当園の建て替えの後、何園が建て替えたでしょう。そのたびにうらやましいところが見つかります。建て替えたばかりのころは明らかに以前に比べて恵まれた環境にありましたから、なんの不足も感じなかったものですが、あれこれ見ると穏やかではいられなくなる自分がいます。人間の欲とはなんと限ないことでしょう。でも、毎日の生活の中においてはそんなこと、思う暇もなく、まさに「置かれた場所で咲く」努力をするのです。園に戻ったら保育士が一人の子の居場所を保障してやろうと環境づくりに精出していました。目の前の子どもたちの姿から考え、工夫することで園舎は生命を得ていくのだなあと思いました。
26.5.8
26.5.8
この5月の連休は保育園も大手を振ってお休みです。ニュースでは山や海での事故が報じられていましたが、当園では何事もなく楽しい毎日が過ぎたようです。しかし、連休後半から体調を崩した子もいるようでそれはそれで心配ではありますが、心身のお休みにはなったのかもしれません。さて、昨年の連休は私は何をして過ごしたっけと振り返るとこんな短歌を作っていました。「連休は 食事作りと片づけと 漫画本五冊を読みて 過ごせり」毎年こんなもんです。今年は高草山のお祭りの当番に当たり、手伝いに出たり、思い立って映画を見たり、もちろん里帰りの人々のための食事作りも。いつものようにあくせくすることなく、のんびり過ごしました。そうそう、文庫本で上下の小説も一気読みしました。それでも1日に1回は園に来てメールや郵便物のチェックをし、消毒した桜の木の下で毛虫を片付けたりもしました。結局、普段の毎日の拡大版みたいなものです。ま、よしとしましょう。ついでに言うなら一つ、年も取りました。
26.5.2
26.5.2
新学期が始まって1か月が過ぎました。案ずるより産むがやすし・・・で1年生たちもすっかり小学生らしくなりました。学童保育に来ている子たちの中にも高学年にもなり、たくましさをまし、少しくらいの時間なら大丈夫になったと退所していく子も出てきます。最初は清水の舞台から飛び降りるような気分でしょうが、そのうち、飛び降りた先はちょうどいい湯加減の温泉だったみたいな感じになるかもしれませんね。わが子のたくましさをうれしく思う反面、もう少し、守っていやりたいと思う気持ち、親の気持ちは複雑です。習い事を何もしていないけど、これから先、何とかなっていくのだろうかと不安にかかられる気持ちもありますね。何事もなく、吸収していくかもしれません。そんな力を育ててきたのだと自分に言い聞かせながらも周囲の情報にドキドキします。子育てを終えた身にすれば身の丈に合った生き方をするのが親子とも楽ちんだし、楽しめると思っています。何とかなるさ、その時はその時、そう考えて今のお子さんとの生活を楽しんでほしいと思います。
26.5.1
26.5.1
今日は不燃物収集日。雨が上がってよかったなあと思いながら分別済みのゴミたちを両手に持って収集場所へ行きました。神様が基本的にはお許しにならないスッピンで行くのが常です。・・・と、これは置いといて・・・スチールの缶を入れるかごの中にミルクの空き缶がたくさんありました。赤ちゃんが飲むミルクの缶です。最近、うちの地域(組)では見ない空き缶だったのでとても新鮮に感じました。たいてい、ジュースや缶詰の空き缶、アルミ缶ならビールなんてのが主流でしたので、人口が増えたんだなあとしみじみ思い、不燃ごみからも元気をもらえるのだなあと感じた朝でした。
26.4.30
26.4.30
祝日明けの今日は1日中、雨に降りこめられました。保育士たちにしてみれば休み明けの日ほど晴れてほしいと願うものです。室内と戸外との活動が日課的に振り分けられているので休日モードを保育園モードにするには決まった日課で過ごすといいのです。でもお天気は保育の現場を斟酌してはくれません。何となくいつもの調子が取り戻せないときは雨だから…と思いがちです。ところが雨なのにいつもとほとんど変わらず、過ごせたなんて日もあるのです。ということはお天気が原因ではないということになるかもしれません。晴れた日の良さ、雨の日の良さ、それぞれの利点を活用して楽しいと思える保育を展開していけるといいなあと思います。
26.4.28
26.4.28
春のドラマが始まって見たいなあと思うものが決まってきました。基本的にテレビっ子なので見始めると他の声は入らなくなります。夢中になれるものとそうでないものがあるのは仕方がない。趣味の問題ですもんね。本屋さんに行くとドラマの原作本として1コーナーができています。表紙には出演者がバーンと載っています。目を引くので立ち止まりますが、私はドラマ化された小説を後追いで読むのは気が進まない。むしろ、私が先だって読んだものがドラマになるのは許せます。面白かったからドラマにも期待しますが、そうでない場合もあります。イメージと違うと思いながら見続けるのは残念なので見切りをつけようかなと思うときもあります。
26.4.26
26.4.26
昼間のこだまに乗りました。もったいないくらいの席割で思い切りくつろげるなあと思っていたらカツカツと非常に大きな大きな靴音がします。コツコツくらいならよくありますが、その2~3倍はあろうかと思われるほどの靴音です。私の乗っている車両の前のほうから後ろの自動ドアまで車輛全体にこれでもかというくらいの靴音を響かせています。「一体全体、何者だ!俺様の乗っている車両をガタピシさせる奴は!」「さんびきのやぎのがらがらどん」に出てくるトロルならきっとそう叫ぶことでしょう。私もお腹の中でそう叫びました。30代くらいの男性、つま先のとんがった、茶色のなめし皮みたいなやけにつやのある靴を堂々とはき、車内を往復しました。ご本人は自分の靴音なんか気にしないでしょうね。
26.4.22
26.4.22
昨日は久しぶりに新幹線に乗車しました。また、東京との往復の生活が始まります。いつものように文庫本と昼食を持って乗り込みましたが、なんだか緊張気味です。普段なら富士川の鉄橋を渡っているのを知らないという状況なのにしっかり目覚めていて雨のために見えない富士山を心の目で見ました。文庫本もやけにはかどります。そのうちに調子が戻ってきたらしく新横浜に入ったあたりから眠くなり始めました。これはいけないと改めて気持ちを整え、1時間の新幹線の車内を無事に過ごしました。次回はきっと1時間の爆睡を確保することでしょう。口を開けて眠るのでマスクをお忘れなく。
26.4.19
26.4.19
4月も半ば、保育のほうは新入園児たちの泣き声がなくなり、新しい担任との関係もできてきて振り回され感がなくなってきました。でももう少し力を入れなければと思うところも多々見えてきています。つまり、保育が軌道に乗ってきているからこそ、見えてくる子どもたちに育ってほしいと願う力の現状です。進級した子どもたちの姿に自覚があるか、保育士の願いを伝えるための方策を考えているか。双方向のやり取りを作り上げていかなければならないと感じています。それは私と職員たちとの関係にも言えるのではないかと思います。お互いの責務を果たしながら、だけど一方通行にならない関係づくりを進めていきたいと考えています。
26.4.18
26.4.18
いたちごっこの報告:昨日、いつも巣を作る枝を切ってしまいました。それに朝から雨も降っていたし、で、いたちごっこは今日はありません。やれやれ・・・。あきらめてくれたかな。
それにしても日ごとにケヤキの木が茂ってきています。ついこの間まで木陰はなかったのに今は木陰ができ、日差しがある日は涼しくていい気持ち。この夏も極上の木陰を提供してくれることでしょう。
26.4.17
それにしても日ごとにケヤキの木が茂ってきています。ついこの間まで木陰はなかったのに今は木陰ができ、日差しがある日は涼しくていい気持ち。この夏も極上の木陰を提供してくれることでしょう。
26.4.17
カラスの巣作りが続いています。毎朝、ケヤキを見上げるといつもの場所に基礎工事がされています。今週は毎日、その撤去を続けています。先日の造園屋さんの落とし方に学び、職員が木に登り、長い棒でつついて落とすという方法です。午前中にそれをするのですが、資材集めで留守している隙に撤去の憂き目にあうカラスたち(多分、番い)、今日は1羽が資材収集に出かけた後を1羽が、守りながら手直しをするという風でした。こりゃ、近寄れないかなと思いましたが、幸い油断したのか、2羽ともいなくなった時に撤去しました。向こうの電柱の上で枝をくわえて呆然としているカラスを発見。こうなったら、向こうがあきらめるまで続けます。カラスとのいたちごっこです。
26.4.16
26.4.16
初々しかった新1年生たちもすっかり小学生の顔になってきました。下校の時は先生がクラブの入り口まで送ってきてくださっていました。慣れない下校を丁寧に関わってくださり、ありがたいことです。保護者の皆さんも安心していたことでしょう。さて、いよいよ明日からは自分たちで帰ってくるのだそうです。道草を食わないで無事に帰ってくれることを期待します。でも帰り道ほど楽しい時間もないですよね。私は歩きながらの読書が楽しみでした。放課後、図書室で借りた本をそのまま、開いての帰り道でした。ランドセルなので両手が空いています。まだ、車もそんなに通らず農道みたいな道だったので誰も危ないからやめなさいとは言わなかった古き良き時代でした。
26.4.15
26.4.15
昨日、帰ったら筍の煮物が食卓に並んでいました。ご近所から掘りたてをいただいたようです。さあ、筍攻撃の火ぶたが切って落とされました…みたいな。いただく筍はたいてい、皮つきですから、ぬかを入れてゆでなければなりません。と、こう書くといかにも私がやるみたいですけど、実はノータッチ。母の仕事でーす。いずれにしてもこの筍を使ってどんな料理にしてもらうのかを考えるのは私です。
26.4.14
26.4.14
土曜日の朝、園庭でカラスが1羽、枝を物色していました。長さや重さを検討しているみたいだったのでこりゃ、面倒なことになりそうだと思っていたら、やっぱり、ケヤキの枝に巣作りを始めました。その時は何とか追い払いたいと思い、園庭に向けて音楽をかけ、びっくりさせました。とりあえず効き目があったみたいで逃げて行ったのを見て、ひとまず、安心。ところが今朝、見てみたら立派なのができかかっているではありませんか。もしも卵でも生まれてしまったらどうしよう。カラスと共存なんて私には無理です。加えて昔、自転車に乗っているとき、頭を狙われた経験があるのでそれが蘇ります。そこで造園屋さんに相談したら早速やってきてくれて木をユッサユッサとゆすって巣を落としてくれました。至って原始的な方法、なるほどね。
26.4.11
26.4.11
静岡での会議は必ず、電車で行きます。私にとって安倍川の鉄橋の向こうは運転免許が無効になるからです。というわけで往復の電車内で過ごす時間は30分、ホームで少し待つ時間もあります。この時に必要なのが文庫本です。細切れの時間ですが、かなり集中できます。新幹線のほうがむしろ眠くなることが多い。今日も静岡へ出かけました。今読んでいる本が佳境に入ってきているので行も帰りも夢中になって読んでいたら降りなければならないホームに電車が入ってからそれに気づき、若干あわてました。外したメガネが胸の前で揺れ、文庫本は読み止しの所に指を挟んだまま、電車を降りました。
26.4.9
26.4.9
新入園の子どもたちが気づけば終日、保育を受けるようになり、乳児も食事まで済ませての毎日になっています。朝は少し、別れ際に泣き声も出ますが長続きすることなく、なじんでくれている様子に胸をなでおろすところです。むしろ、担任が変わった保育士が右往左往している様子。環境も関わりも思い描いていたようにはいきません。毎日が試行錯誤です。それでも、少しずつ、軌道に乗っている瞬間も出てきました。あちこちからフォローの人間が出てきて保育を手伝っています。
26.4.8
26.4.8
昨日、今日と小中学校の入学式が続きました。つい先ごろまではそれぞれ、その成長をたたえられ、自負と自覚の中で生活していた子どもたちですが、入学式の表情はやはり違います。中学生たちは本当に大きめに作った制服に身を包んでいます。教科別に先生が変わるし、英語は本格的になるし、部活動への不安もあるし、・・・でいささか緊張気味です。小学生たちはまだまだ、夢と希望の中にいるみたい。それでも校長先生のお話などきちんと聞いていましたから、いささか、気持ちが引き締まっていたのかもしれません。何はともあれ新しい世界へのデビューです。いろいろな思いを体験することになるでしょうけれどへこたれることなく、乗り切っていってほしいと心から思ったのでした。
26.4.7
26.4.7
昨日は村の桜まつり、つまり、住民が広場に集まって飲めや歌えの大騒ぎの1日でした。我が家は組長(反社会勢力のではなく、至って健全な村の組織のこと)なので前日からアバウトな企画を立て、対応しようとしていたのですが、つれあいとの連絡調整もアバウトだったので当日は朝からバタバタとなりました。それでも開会には準備は整い、皆さんのおいでを待つばかりとなりました。私はここで今日のすべてが終わった感じ。ところが祭りはそれから5時間も続き、後片付けという大仕事を控えて私は心底、楽しめず、すべてが終わり、家の夕食も終わり、し残していた部屋の掃除もすませ、その頃にはぐったりでした。この1年、こんなことが何回かあります。気が重いなあ。園長職の方が私には向いています。確かです!
26.4.5
雨上がり、我が家の庭や家の前の小路にはサワガニのつぶれたのがあちこちにいます。若干の生臭さが漂います。小さな水路、それも改修していないので住みやすいのかもしれません。ようやく暖かくなってこれからだというのに今潰れちゃっては残念な結果です。そんなに車が通る小路ではないのに見事につぶれた何匹か、集団で道にでも出たのかもしれません。運が悪いというところかな。我が家でもまとまった雨が降ると庭先とか玄関のあたりとかにガシャガシャ歩いています。その環境の良さをありがたく思いながら、今年もまた、蛍に会えるかなと少しばかり気の早い妄想をするのでした。
26.4.4
年度末・年度初めの労務管理がてんこ盛りでしたが、ようやく片付きます。これを済ませると何となくやれやれという感覚になります。今回は事務員が専属で取り組んでくれることが増え、おかげで私が専念する業務が少し減りました。いつもより早いと職員に言われたほど。ゆとりがあると先へ先へと整理することができます。保育の現場も同じです。新入園の子どもたちのことが少しわかってくると気分的にゆとりが出てきます。子どもたちが慣れてくるのとほぼ同時期、そうすると4月とは思えない落ち着いた雰囲気が園内に生まれてくるのです。きめ細かく準備し、対応してきた結果です。子育ても同じ。毎日毎日を成長発達という目で過ごしていくと食事も排泄も睡眠も遊びも子どもはどんどん体得していきます。放っておくといつまでも赤ちゃんのまんま。自分で生きていく力は大人の援助や見守りによって身についていくものです。今が楽なら…ではなく、早く楽になるために今を大切に…です。
26.4.3
先週末、咲き出した桜はあっという間に満開を迎え、今日はハラハラと散り始めています。「花の命は短くて・・・・」であります。同じように先週、枝の先っぽに葉が付きだしたなと思って見上げたケヤキの木はほとんどの枝に葉が付き、もうしばらくしたら新緑に輝くことになりそうです。待ちこがれていた春ですが、やっと暖かくなったと思いきや、駆け足で進んでいくみたい。来週は学校の入学式で始まります。保育園は新入園の子どもたちがようやく、ここを受け入れて笑顔を見せてくれるようになるでしょう。高草山も桜の花があちこちで咲いている様子。まさに山笑う。
26.4.2
新入園の子どもたちが今日から登園です。予想通りに園内に響き渡る泣き声で1日が始まりました。でも在園児たちはクラスの入れ替えがあるわけではなく、担任が変わっただけなので普通に過ごしています。そりゃ、担任との愛着関係の面ではこれからのことになりますが、今はまだ、若干、昨年度の貯金が残っていることを期待します。大泣きだった子も面白そうなことがあることに気づけば泣き止むし、集団生活を経験してきていれば好奇心のほうが勝っているようです。園内がいつもの雰囲気になるのも時間の問題かと思われます。むしろ、担任たちが日常の流れに慣れることの方がエネルギーを必要とするのかもしれません。みんな、ガンバレ!!
26.4.1
今日から26年度が始まりました。まるで消費税が5%から8%に変わるかのように昨日は夕方から新年度の準備をしました。時々26年度の担任予定者がクラスを入れ替えて保育を経験してきましたが、十分な引継ぎとは言えないかもしれません。結局、新たに関係づくりからのスタートになるのでたいてい、こんなはずではなかったみたいな気分になりがちです。しかし、そこは関係づくりのプロですから、近いうちに新年度とは思えないほどの雰囲気を生み出すことでしょう。子どもたちにもお願いしながら協働の日常の形成に入ります。26年度も楽しい毎日を過ごしてほしいと思っています。
26.3.31
平成25年度の保育を修了しました。思いおこせば本当にいろいろなことがありましたが、本日をもって退園となったお母さん、「仕事を変えることになる決断は案外、スッパリできたけど、ここを退園することが嫌でほかの方法はないかとギリギリまで考えた。幼稚園への転園という方法しかないと思うけど何せ、私が幼稚園に対していい思い出がないので、ずっとグズグズしていました。こんなに温かな保育園とお別れするのは本当につらいです。」とおっしゃっていただきました。何よりの保育の評価をいただき、本当にうれしかったです。明日から26年度が始まります。こんな声をいただくことができる保育を目指していきたいと思っています。
26.3.29
本日、卒園式が無事、行われました。暖かな春の日、園庭の桜がちらほらと咲き出していました。会場いっぱいの皆さんと見事に成長したつばめ組20名を送り出すことができました。保育証書をもらい、両親からのはなむけの言葉をもらったところから卒園児もご家族も涙が流れ始め、式の間中、ずっと涙をぬぐっていた子もいました。卒園式での涙はとても複雑で高度な涙だと私は感じています。そんな涙を流すことのできる感情を育んだ子どもたちです。来賓の方の中にも目頭を押さえる姿があり、いつもながらに温かな卒園式となりました。私もきちんと涙したことを申し添えます。
26.3.27
毎朝、天気予報の最高気温を確認してから服装を決めます。園内にいる時はどうにでも調節できますが、出先ではなかなか、難しい。今日も朝から出かけました。雨が上がって日も差して今日は桜が咲くだろうなあと思いながら、とっても重たい資料を下げて、会場まで歩きました。春の空気なので今日の服装は正解だったなあと思っていました。ところが、昼過ぎから雨が降り出し、気温も下がり気味。幸いスカーフを持っていたのでそれで肌寒さをしのぐことができました。まだまだ、油断はできません。せめて春のコートは持って出たほうがよさそうなこの頃です。
26.3.26
あちこちから桜の便りが届きます。朝、食事の支度をしながら聴くラジオのおたよりは春の便りでいっぱいです。当地でもようやく、桜がポツリポツリ咲き出しました。この木はどうかな、こっちはどうかなと気にしながら運転するので自分でも危険だなと感じました。日中は晴れていると車中はとても気温が上がります。窓を開ければ花粉が飛び込みます。そこでやむなく冷房を入れるという始末。服用している薬のおかげで花粉症に悩む日々からは解放されていますが、それでもリスクは避けたいものです。
26.3.25
思いがけなく、かかってきた電話は以前、お世話になった先生からでした。大学で保育者の養成をしておられます。この度、ご自分の本が出版されるに当たり、当園の写真を使ってもいいかということでした。お役にたてるならと返事をしました。話は保育士という専門職がきちんとした組織を確立してほしいということになりました。私が所属する組織ではこれが将来の目標です。そのために様々な議論を重ねていますが、現実を目の前にするとそれは本当に遠い将来になりそうな気配。しかし、保育を運営する主体が社福だけではなくなっている今、所属する組織を求めている人たちが多いのだということも教えていただきました。さあ、どうすべきか。大きな宿題をもらったような気がします。
26.3.24
26.4.5
雨上がり、我が家の庭や家の前の小路にはサワガニのつぶれたのがあちこちにいます。若干の生臭さが漂います。小さな水路、それも改修していないので住みやすいのかもしれません。ようやく暖かくなってこれからだというのに今潰れちゃっては残念な結果です。そんなに車が通る小路ではないのに見事につぶれた何匹か、集団で道にでも出たのかもしれません。運が悪いというところかな。我が家でもまとまった雨が降ると庭先とか玄関のあたりとかにガシャガシャ歩いています。その環境の良さをありがたく思いながら、今年もまた、蛍に会えるかなと少しばかり気の早い妄想をするのでした。
26.4.4
年度末・年度初めの労務管理がてんこ盛りでしたが、ようやく片付きます。これを済ませると何となくやれやれという感覚になります。今回は事務員が専属で取り組んでくれることが増え、おかげで私が専念する業務が少し減りました。いつもより早いと職員に言われたほど。ゆとりがあると先へ先へと整理することができます。保育の現場も同じです。新入園の子どもたちのことが少しわかってくると気分的にゆとりが出てきます。子どもたちが慣れてくるのとほぼ同時期、そうすると4月とは思えない落ち着いた雰囲気が園内に生まれてくるのです。きめ細かく準備し、対応してきた結果です。子育ても同じ。毎日毎日を成長発達という目で過ごしていくと食事も排泄も睡眠も遊びも子どもはどんどん体得していきます。放っておくといつまでも赤ちゃんのまんま。自分で生きていく力は大人の援助や見守りによって身についていくものです。今が楽なら…ではなく、早く楽になるために今を大切に…です。
26.4.3
先週末、咲き出した桜はあっという間に満開を迎え、今日はハラハラと散り始めています。「花の命は短くて・・・・」であります。同じように先週、枝の先っぽに葉が付きだしたなと思って見上げたケヤキの木はほとんどの枝に葉が付き、もうしばらくしたら新緑に輝くことになりそうです。待ちこがれていた春ですが、やっと暖かくなったと思いきや、駆け足で進んでいくみたい。来週は学校の入学式で始まります。保育園は新入園の子どもたちがようやく、ここを受け入れて笑顔を見せてくれるようになるでしょう。高草山も桜の花があちこちで咲いている様子。まさに山笑う。
26.4.2
新入園の子どもたちが今日から登園です。予想通りに園内に響き渡る泣き声で1日が始まりました。でも在園児たちはクラスの入れ替えがあるわけではなく、担任が変わっただけなので普通に過ごしています。そりゃ、担任との愛着関係の面ではこれからのことになりますが、今はまだ、若干、昨年度の貯金が残っていることを期待します。大泣きだった子も面白そうなことがあることに気づけば泣き止むし、集団生活を経験してきていれば好奇心のほうが勝っているようです。園内がいつもの雰囲気になるのも時間の問題かと思われます。むしろ、担任たちが日常の流れに慣れることの方がエネルギーを必要とするのかもしれません。みんな、ガンバレ!!
26.4.1
今日から26年度が始まりました。まるで消費税が5%から8%に変わるかのように昨日は夕方から新年度の準備をしました。時々26年度の担任予定者がクラスを入れ替えて保育を経験してきましたが、十分な引継ぎとは言えないかもしれません。結局、新たに関係づくりからのスタートになるのでたいてい、こんなはずではなかったみたいな気分になりがちです。しかし、そこは関係づくりのプロですから、近いうちに新年度とは思えないほどの雰囲気を生み出すことでしょう。子どもたちにもお願いしながら協働の日常の形成に入ります。26年度も楽しい毎日を過ごしてほしいと思っています。
26.3.31
平成25年度の保育を修了しました。思いおこせば本当にいろいろなことがありましたが、本日をもって退園となったお母さん、「仕事を変えることになる決断は案外、スッパリできたけど、ここを退園することが嫌でほかの方法はないかとギリギリまで考えた。幼稚園への転園という方法しかないと思うけど何せ、私が幼稚園に対していい思い出がないので、ずっとグズグズしていました。こんなに温かな保育園とお別れするのは本当につらいです。」とおっしゃっていただきました。何よりの保育の評価をいただき、本当にうれしかったです。明日から26年度が始まります。こんな声をいただくことができる保育を目指していきたいと思っています。
26.3.29
本日、卒園式が無事、行われました。暖かな春の日、園庭の桜がちらほらと咲き出していました。会場いっぱいの皆さんと見事に成長したつばめ組20名を送り出すことができました。保育証書をもらい、両親からのはなむけの言葉をもらったところから卒園児もご家族も涙が流れ始め、式の間中、ずっと涙をぬぐっていた子もいました。卒園式での涙はとても複雑で高度な涙だと私は感じています。そんな涙を流すことのできる感情を育んだ子どもたちです。来賓の方の中にも目頭を押さえる姿があり、いつもながらに温かな卒園式となりました。私もきちんと涙したことを申し添えます。
26.3.27
毎朝、天気予報の最高気温を確認してから服装を決めます。園内にいる時はどうにでも調節できますが、出先ではなかなか、難しい。今日も朝から出かけました。雨が上がって日も差して今日は桜が咲くだろうなあと思いながら、とっても重たい資料を下げて、会場まで歩きました。春の空気なので今日の服装は正解だったなあと思っていました。ところが、昼過ぎから雨が降り出し、気温も下がり気味。幸いスカーフを持っていたのでそれで肌寒さをしのぐことができました。まだまだ、油断はできません。せめて春のコートは持って出たほうがよさそうなこの頃です。
26.3.26
あちこちから桜の便りが届きます。朝、食事の支度をしながら聴くラジオのおたよりは春の便りでいっぱいです。当地でもようやく、桜がポツリポツリ咲き出しました。この木はどうかな、こっちはどうかなと気にしながら運転するので自分でも危険だなと感じました。日中は晴れていると車中はとても気温が上がります。窓を開ければ花粉が飛び込みます。そこでやむなく冷房を入れるという始末。服用している薬のおかげで花粉症に悩む日々からは解放されていますが、それでもリスクは避けたいものです。
26.3.25
思いがけなく、かかってきた電話は以前、お世話になった先生からでした。大学で保育者の養成をしておられます。この度、ご自分の本が出版されるに当たり、当園の写真を使ってもいいかということでした。お役にたてるならと返事をしました。話は保育士という専門職がきちんとした組織を確立してほしいということになりました。私が所属する組織ではこれが将来の目標です。そのために様々な議論を重ねていますが、現実を目の前にするとそれは本当に遠い将来になりそうな気配。しかし、保育を運営する主体が社福だけではなくなっている今、所属する組織を求めている人たちが多いのだということも教えていただきました。さあ、どうすべきか。大きな宿題をもらったような気がします。
26.3.24
年中行事が月遅れで行われる我が家では桃の節句は4月です。なのでひな人形は春分の日のお休みを利用して飾るのですが、今年は都合により、昨日となりました。家族は皆、出払って私一人。ま、いつものことです。蔵から手押し車に乗せて玄関まで運びます。そのまま、庭先で開けて人形や道具を玄関先に仮置き。運んでは飾り、を繰り返します。天神飾りと段飾り、ケースの人形たちが数箱、途中で面倒になったので、天神飾りのこまごましたものは割愛、段飾りの人形たちの手にする小物も割愛。いささか、内裏雛だけは通常でしたが、他の人形たちは飾台の上で何も持たず、ボーっとしています。言われなければ気が付かなかったと家族に言われたので黙っていればよかったと胸の内で呟きました。子どもたちがいい年をした大人になった今、ひな祭りへの湧き立つような思いは今は昔…です。
26.3.22
26.3.22
ちょっと時間ができたので駐車場周りの草取りをしました。春です。ホトケノザ、カラスノエンドウ、イヌフグリ、ナノハナ、ノゲシなどが狭い中に元気に育っていました。春の便りとはいえ、雑草なのでそこは容赦なく引っこ抜くことにしました。夏の雑草とは違ってみずみずしく、柔らかな感触がともすればうんざりする草取りをほんの少しだけ、気楽にさせてくれます。お彼岸の風はまだちょっぴり、冷たく汗をかくほどの作業にもならなかったので助かりました。
26.3.20
26.3.20
昨日に続いて今日は中学校の卒業式。あいにくの冷たい雨が降る中、体育館はそりゃもう、寒かったけど心温まるひとときでした。加えて式の次第が「仰げば尊し」の合唱や送辞に答辞という昔の形で厳粛さがよりその雰囲気を盛り上げました。そして2部は合唱での構成。最初はきちんと歌っていた生徒たちも次第に別れを実感してきたようであちこちから鼻をすすり、涙をぬぐう姿が。ついには伴奏者がヨヨと泣き崩れましたが、先生が必死で支え、その任を果たしたのでありました。どんだけいい仲間たちだったのでしょうねえ。
26.3.19
26.3.19
今日は地元の小学校の卒業式です。昨日の雨も上がり、そんなに寒くもなく、まことにおめでたい日でありました。3クラス78名の児童たち、中には卒園児の顔もあります。声変わりの途中にあってなんだか、イメージが変わった子もいました。きりりとした表情に中学校への決意が見えてうれしかったです。「みんなで私たちにとって最後の校歌を歌いましょう。」という呼びかけにウルッと来た私でした。
26.3.18
26.3.18
いろいろなところに調子よく首を突っ込むのでスケジュール管理がともすると分刻みになることがあります。毎日ではないにしても手帳とボードの予定表と照らしながらにしないと落としかねない。実は今日がまさにその状況でした。日誌を読み終え、午後からの会議は何時からだっけと手帳を開いたら…えっ!この会議は何だ?今日って…18日?10:00から?・・・大変だあ!!!で、大騒ぎで向かうことになったのであります。30分ほどを遅刻したにもかかわらず、会議では言いたいことを言い、きっと顰蹙を買っただろうなあ。反省、反省。スケジュール管理は自己管理ですね。
26.3.17
26.3.17
小中学校の卒業式が今週控えています。過去の卒園児たちも進学を目前に巣立ちの時を迎えることになります。今年はいつの卒園児がこの日を迎えるのだろうと卒園台帳をめくった朝です。当時は60名定員の小さな保育園だったので卒園児たちも10名強という程度、こじんまりとした、でも温かな式だったことを思い出します。名簿の名前を見ながらひとりひとりのあれこれを思い出し、いつの日か、今年の年長児たちも新たなる巣立ちの時を迎えるのだなあと感慨を新たにしました。小学校へ巣立つ子どもたち、少々のことではへこたれないたくましさと、友だちの気持ちになれる真のやさしさ、強さをさらに育ててほしいと思います。
26.3.15
26.3.15
今週は連日でかけていたので、保育日誌を読む時間が取れず、たっぷり溜め込みました。今日は朝から日誌を読むことに必死です。どうか、だれも来ませんように、どうか、面倒なことが起こりませんようにと祈りながら、何とか一気に読みあげました。毎日園内にいられる日ばかりではなく、保育が見えなくなってしまわないように保育士たちの書いた日誌とエピソードが頼りです。ひとつひとつのエピソードにコメントを入れながら子どもたちの成長と保育士たちの見事な対応に感動するひと時でした。
26.3.14
26.3.14
会議に出席するために電車に乗りました。ちょうど同じ会議に出席する方と2人で乗り込んだ電車は一人で乗るにはいい感じであちこちに空席があります。でも、我々は二人連れでした。年上のお連れを空席に案内し、私は立っていこうと決めたとき、立っていた私の前に座っていた高校生と思しき若者がスッと立ち上がって私に席を譲ってくれたのでありました。初めて席を譲られました。年齢によるものではなく、私と連れのことを思っての行動だったと思ったので私も嬉しくて素直に座らせてもらいました。加えてジャニーズ系のさわやかな彼だったのでちょっと浮かれ気味の私でもありました。
26.3.7
26.3.7
今日は年長児にとって最後のお茶会となりました。1年間、月に1度のお茶会をとても楽しみにしてくれていました。そこで最後はご家族と一緒にということになり、ご家庭から一人が参加してくださいました。初めてみるわが子の姿に新発見の思いをされた方が多かったようです。正座、礼、お茶碗の扱い方、それぞれ堂に入っていたこと、私語を交わすことなく、静寂の中にいられること、そこに思いもかけない成長を感じられたことと思います。こんな環境の中にいれば力はつくんですね。そんなことをおっしゃって下さった方もいます。外は早春の日差し、お茶席は春のしつらえ、大変楽しゅうございました。
26.3.5
26.3.5
今年もいよいよ年度末を迎えています。書棚にはこの1年間の会議でたまった書類がギューギューづめで並んでいます。最終的な結果を得るまでに何度も会議を重ねるので同じような資料がどんどんたまっていくのです。とりあえず、処分しないで1年を過ごすので今が限界です。綴じ込んであっても絶対に振り返らないと確信しています。ならばなぜ、取っておく?と断捨離名人に突っ込まれそうですが、一応、総会を済ませ、すべてが確定してから処分しようと今、決めました。あと10日くらいでそれができそうです。
26.3.4
26.3.4
新幹線の往復の時間をどう使うか、私にとっては貴重な時間です。周りを見渡せば、パソコンを開いて何やら打ち込んでいる人がいたり、何度も電話で対応するためにデッキに出たり、明らかに仕事中というオーラを醸し出しているタイプ。ひたすらスマホでゲームに熱中しているタイプ。もちろん読書中の人もいるし、早朝だと朝食の時間という人もいます。私のように休息中の人がいるようでいない車中の1時間。私だって持っている文庫本によっては往復で読み切ってしまうことがあります。もちろん、うっかり眠気を誘うものを開くこともありますけれど。最近は週に2~3度の往復です。睡眠時間、読書量、双方を確保しているところです。
26.3.1
26.3.1
今日は作品展。暖かな1日で訪れてくださる皆さんも心身ともにリラックスしているように思いました。いつものように子どもたちの絵と製作、陶芸作品、クラブ、特養、個人作品と多方面からの協力もいただき、大賑わいの1日でした。子どもたちや職員の指導に当たってくださっている先生はいつも前日、飾り付けが終わったころにおいしいケーキと共に訪れてくださいます。そして壁一面の子どもたちの絵をうれしそうに見ながら、「美術家たちがいっぱいだ!!。」「このまま、どこかで美術展ができる。」「まるでヨーロッパの美術館みたい。」と毎年、大絶賛の声をかけてくださいます。準備や何やらで大変だった日もあったけどこの日は皆、うれしそうです。ケーキがおいしいこともあるけれど。他園の保育士さんたちもお見えになりますが、当園の保育を子どもが主人公の保育であることと感じてくださいます。子どもたちの表現を前にしながら人間が本来持っている表現したい気持ちを大人になっていく過程で失っていくことにも気づかされるのです。
26.2.25
26.2.25
新聞に「ちいさなこだわり」の文字を見つけました。私のちいさなこだわりってなんだろう?とふと思い、今日はこれをネタにしようと思い立ちました。さて、・・・そうだ、夏でも冬でもボディスーツを離さないことかな、それとも朝は必ずみそ汁を作ることかな、はたまた、お茶は湯呑で、コーヒーなどはマグカップと使い分けることかな。こうして書いてみると何てつまらないこだわりなのとあきれますが、これらを決して曲げないのがつまり、こだわりなのでしょうね。
26.2.24
26.2.24
新幹線で上京の時、途中から7~8歳くらいの女の子とお父さんが私の隣に乗ってきました。どう見ても同じ民族に見えたのですが、聞くともなしにその会話を聞いていると英語なのです。でもその英語も私に聞き取れるくらいの英語でした。しかし、日常的に英語での会話をしているようで二人とも自然な感じ。ひょっとしたら中国系の方なのかなと思い直していた時に聞こえてきたのがまぎれもない日本語でした。女の子の方の言葉です。話しかけられたお父さんはそれに英語で答えました。私はこの状況をどう整理していいのかわからず、いつもならぐっすり眠りこむところを聞き耳を立ててこの親子の生活を妄想して過ごしました。ママと聞こえるところを見ると親子3人かな。「ママは今夜、おそくなる?」これは日本語。お父さんは英語で答えましたけどね。あえてのバイリンガルなのかなあと自分で結論付けました。
26.2.21
26.2.21
市内の保育士たちは毎月、担当が出てきて部会を開催しています。発達に課題のある子のケース検討をしたり、保育の内容について自分たちで研究テーマを設定してグループワークをしたり、給食の担当者たちは調理実習などもします。園長たちも手分けして部会に所属し、アドバイスしたり、取りまとめをしたりします。私はなんだかんだ出かけることとぶつかることも多く、いつも参加するというわけにもいかないのですが、それでも参加できたときはここぞとばかりに保育について考え、語ります。若い保育士たちと抱えている課題などについて語り合うのが何より楽しい。園長という立場ではありますが、やっぱり保育者なのだなあと確認します。毎日がこんなだといいなあ、予算とかなんだとか、性に合っているとは思えないのであります。
26.2.18
26.2.18
各地の豪雪のニュースやソチオリンピックにくぎ付けになっていたら近所の河津桜が咲きだしていました。ちらほらと花がほころび始めています。根元には黄色の菜の花、陽だまりにはオオイヌノフグリ、春の準備が加速しているようです。昨日は保育士会の関東ブロックの会議、静岡県もここに所属しています。東京に向かう新幹線の車窓から見える町の中の雪が朝日の中でまぶしく、静岡県民はそれだけで「雪だ!」と騒ぎ立てるのが常でもあります。でも会議に集まった方々は雪の中をやっとの思いでたどり着いたという方もいました。群馬とか新潟とか。長野と山梨の方は交通手段がなく欠席。関東ブロックは広いです。春の訪れに浮き立つ地方、雪に埋もれている地方、地元にいるだけでは感じることのできないものでもあります。
26.2.14
26.2.14
新年度に向けての計画を立てるべく、個人面談が始まりました。時間を都合していただいて日中に行います。ご家庭での様子、園での姿などを交換し合い、今後の支援に向けていくものです。送り迎えの時間や連絡ノートでは伝えきれなかった事柄がこの場に出てくるのでお互いにとても大切な場面であると思います。なんといっても顔を見合わせての話なので理解し合うという面では何にも勝るものです。私も記録者になりながらチョイチョイ、口を挟みつつ、でもここは担任の役目と心得て子どもたちの家庭での日常に想像をめぐらせています。
26.2.13
26.2.13
県庁まで行ったので商店街を歩きました。ピンクの色があふれていてああそうか、バレンタインデーだなと気付かされます。以前のような群がり感はなく、チョコも山と積まれているような感じではありません。それでもクリスマスのケーキやお正月のお餅並みの市民権は得ているのか、自然に物色している自分に気づくのです。今更、夫に渡しても効果はないし、息子に渡すのもどうかと思う、でももらう方はまんざらでもないのではないかとワンコイン前後のものを購入しておきました。ま、肩ひじ張るほどのものでもないですしね。
26.2.8
26.2.8
大雪のニュースが流れています。交通機関への影響は大きいことでしょう。当地でも朝からみぞれ交じりの雨が降り、とても冷たい1日です。雪になりませんようにと必死で祈りました。雪への備えがないので地面が凍っても大変なことになります。それでも地元の500mの山に雪が降るかねぇというのがこんな日の地元の人間のあいさつです。「高草山に雪が降ると春が来る。」と言われているからです。降らなくても自然に春にはなりますが、降ったら降ったで春の足音が聞こえてくるみたいな気分になる焼津市民なのです。というわけで高草山に雪が積もっています。茶畑に積もった雪がモザイクのようです。
26.2.6
26.2.6
平成27年度から子ども子育てをめぐる新しい制度が始まります。今まで幼稚園と保育園がそれぞれの立場でその役割を果たしてきたのですが、それを一体化しようというものです。平たく言えば。何度もその説明を聞き、何冊も資料が手元にたまっていくのに理解は深まりません。それぞれの立場で理解していくというのもあるので憶測のほうが強いのではないかと思うくらい。で、どうしたらいいのというのに答えがほしいと思いながら席を立つのがいつものことなのです。トホホ…でもあります。
26.2.5
26.2.5
立春を過ぎました。ところが昨日の寒さと言ったら。都会にいたのですが、午後からの雪には驚きました。最初は風花くらいだったのが、見る見るうちに成長して屋根をうっすらと白くしていきました。新幹線の窓からその光景を見ていたのですが、静岡県に入り、それが雨に変わり、気が付けば雨の気配もなくなり、お天気の地域性を目の当たりにしたひと時でした。我が家の庭の梅は花を咲かせ始めています。春の気配を感じながら出勤です。寒さの盛りと春の始まりが同居するこの頃をちょっとおもしろいなと感じているところです。
26.1.31
26.1.31
今日は子どもたちとお茶会。年が明けて初めてなので初釜です。それにふさわしい席を整えなければなりません。何たって今日は私のお茶の師匠と共に学ぶ姉妹弟子との席なのですから。師匠から前回のお稽古の時に柳の枝と青竹の花器をいただきました。これに合う花を用意しなければなりません。職員に声をかけて椿をGET。風炉先屏風も手に入れました。新春にふさわしい掛け軸はカタログを手本にとりあえず書いたもので済ませましたが、いつになく大がかりなお茶席なので子どもたちは大緊張しました。私だって同じ。いつも子どもたちに示している所作で正解なのか否か、そこも試される上にお手前だって稽古をつけてもらっていることになります。子どもたちの手前、注意ばかりいただくわけにもいきません。そんなこんなで何とか、終了。今日は旧正月、それにふさわしい華やかな1日となりました。
26.1.29
26.1.29
上京の日、朝のニュースで静岡放送局からの富士山が大写しになっていたので今日こそはこの眼で見ようと新幹線に乗りました。ところが指定席は海側で乗ったとたんにあきらめました。同時に睡魔がやってきました。気が付けば品川駅のホームにはいる所でした。会議が早めに終わったので帰りの新幹線から必ず見ようと心に固く決めて富士山側の席に座りました。必ず見るのだと言い聞かせていたらそれが子守唄になってしまい、アッと気づいて外を見たとき、正面に夕陽を浴びた冬の富士山がきりりとその姿を見せていました。会議も大変だったけど今日は富士山を見るという課題を遂行できて納得の日です。
26.1.28
26.1.28
今年度に入り、お寺から誘われてご詠歌を始めました。同世代の仲間が村から20名くらい、月に一度集まってきます。若いころは祖母のやる姿を見てきましたし、気が付けば母も大御所と呼ばれる世代になっています。そしていよいよ、私の登場。唱えながら鈴や鉦を鳴らすなんてとても無理と思い悩んでの参加ではありましたが、これが結構、面白い。時々入る仏教・お寺あるあるも面白い。唯一正座が厳しいところですが、皆と気持ちや声を合わせて唱えるのは楽しいものです。こうして仏教が広まっていったのでしょうね。生粋の仏教徒となっていきます。
26.1.27
26.1.27
この時期になると次年度の計画が立てられていきます。4月から翌年の3月が年度になりますから手帳が12月31日で終わってしまうと残りの3か月が書けません。さりとて2014年が始まったばかりのこの時期に2015年の手帳が店頭に並んでいる訳はなく、まして私は3年手帳(今は2012~2014)なのでその先の3年手帳なぞあるはずがないのです。でもほしい、どうしてもないと困る。そこで本屋の棚の前にしゃがみ込んで探した、探した。ま、これでいいかというのが日付は入っていますが、曜日は書いてないという3年手帳でした。手帳というより3年日記みたいなタイプですが大きさは手のひらサイズです。これで2017年まで予定を書き込むことができます。早速、付箋にとりあえずメモしておいた2015年度の予定を記入しました。近いうちにどんどん、入っていくことでしょう。手帳がなくても済む人生はわたしに来るのかなとふと思いました。
26.1.24
26.1.24
明日はいよいよ、たかくさっこの会、今のところ、感染症の情報もなく、明日は皆元気に登園してくれるのではないかなと思っています。今日あたりは担任の力が入っているようです。ステージの上の今日の役者さんたち、やけに行儀のいいからすのパンやさんちの子どもたちとか、嫁入り先をさがしているのにそっくり返っているねずみさんちの娘とか、学級委員長みたいに見事な演技を見せる満1歳男児とか、そこは見事に自然体です。明日は会場いっぱいのお客さんを目の当たりにして目が点になりつつ、そこは意地もプライドもある子どもたちが張り切ってくれることでしょう。乞うご期待。
26.1.23
26.1.23
年が変わって初めての上京、朝の9時頃の地下鉄には乗客を押し込む駅員さんが扉ごとにいます。最近はこの状況にも慣れてきて一駅先で降りる時、開く扉がどちら側になるか、階段に向かうとき、どの辺に乗ると流れに乗って行けるのかがわかるようになりました。従って押し込まれて乗るのがいいか、一つ、やり過ごした次の電車に先頭で乗り込むのがいいか、と計算しています。都会の人々の流れはそれはそれは、スムーズでもたもたしていてはご迷惑と感じさせます。そこを縫って歩く自分に感動。中身はおのぼりさんですが、外見は都会に生きる人間に見えるかなあ。別にそうありたいというわけではないけれど・・・・
26.1.21
26.1.21
土曜日にたかくさっこの会(発表会)を控え、今はまとめの時です。お互いのステージを見せ合ったり、してそれぞれにアドバイスしながら当日に向かっていきます。自信をもって臨んでいるとき、ちょっぴり、困っているとき、気持ちが乗らないとき、子どもたちが見せる表情は客席からよく見えます。しかし、担任たちは一生懸命なのでなかなか、それに気づけないことがあります。だからこそ、他のクラスにお客さんになってもらうことが必要なのです。子どもたちには「やったね!どんなもんだい!」と鼻の穴を膨らませてステージを下りてほしいなあと思っています。いつも子どもたちの気持ちを感じて行事に臨んでいきたいと改めて思う今日でした。
26.1.20
26.1.20
この頃は年末についたお餅がお雑煮になって朝の食卓に並びます。なくなるまでが雑煮期間です。ところが弁当持ちの人間もいるのでごはんも必要です。たくさん炊くと絶対余るので必要な分だけしか炊かないようにしているのですが、どうかすると食べるはずのない人が食べたりして朝、炊飯器を開けたとき、ない!ということが稀にあるのです。今朝がそうでした。弁当箱に詰めようとふたを開けたらあるはずの一定量が半分になっており、あまつさえ、保温も切られて冷たくなった残りがしみじみとそこにいたのです。朝の私の流れるような作業は無残にも中断、冷凍されたご飯の解凍というひと手間がかかってしまい、調子が狂ったのでした。それでも何とかラジオ体操第1に間に合い、月曜日が動き出しました。何事も崖っぷちは危険です。
26.1.17
26.1.17
昨夜はお茶のお稽古。新年になって初めてなのでいわば初釜です。「遅れる、遅れる!」と言って出掛けた私。先生は着物姿で迎えてくださいました。ああ、そうだよね、初釜だもんね、本来なら生徒もきちんと着物で臨むべきところ、ほかの仲間も洋服でありました。月に一度とはいえ、着物を着る機会を得ているので着物を着ることには抵抗感もないし、時間もかかりませんが、そのモチベーションに至るのが大変なのです。今年はお稽古の日はできたら着物で行こうかなとふと思いましたが、多分挫折する。
26.1.16
26.1.16
20年前、新たに制度として発足した主任児童委員を拝命しました。当時はどう活動すればいいのか、だれにも答えができず、その中で役目を受けた私たち仲間は右往左往していたことを思い出します。加えて周囲はわたしの父母と同世代の方々ばかり。 どう付き合えばいいのかと悩みましたが、むしろそれまでの私にはない人間関係ができたことを面白がっていた節もあります。そんなこんなで任期を全うし、退任してから15年近くになりますが、一緒に終わった方たちと毎年、食事会をします。歳月は容赦なく平等に与えられるので話題も健康のことやこれからのことが多くなります。それでも毎年会えるように健康に気を付けましょうね・・が締めのご挨拶です。
26.1.15
26.1.15
時々、視察研修を受け入れます。一つの園から、組織から・・と形態は様々ですが、受け入れるこちらのスタンスはいつも同じです。当然ですが。今日も20名余の方々においでいただき、当園の保育を見学していただきました。いつになく冷え込んだ日、きちんとした会議室もない当園なので申し訳ないなあと思いつつ、ありのままを見ていただきました。子ども達の姿はもちろんですが、皆さんが特に食いついたのが保育日誌、エピソード、保育計画等の書式と内容でありました。私たちは毎年、見直しを重ねて書きやすく、実りあるものにしてきています。いわば、現在の記録が保育の質を高めていると実感しているので、大変だなあと思いつつも、努力して書いてくれています。その熱い気持ちが伝わったのかもしれないなあと思いました。
26.1.14
26.1.14
この連休中に高校の同級会が行われました。当然ですが、みんな同じ年齢です。女性はあまり違和感を覚えなかったのですが、男性は・・・おや?誰だっけ・・みたいな対面も何人かありました。体型の変化と頭髪の減少によるもの。加えて私個人の問題として当時からあまり印象がなかった(私自身が浮世離れしていたのでかろうじて名前を見てそうそう、そんな人いたっけみたいな・・・)という場合もあります。それでもすぐに当時の話になったり、、孫の人数の報告になったり、とても楽しいひと時でした。恩師も出席してくださり、「授業で教えたことは何も覚えていないだろうけど、ほかのことではおぼえているもんだ。」とご挨拶。まさしくそのとおりでありました。当時よりも今のほうがぐっと距離が縮まったと感じるこの頃です。
26.1.10
26.1.10
毎年、1月の初めには法人で役所や関係の方々の所に年頭のあいさつに伺います。いつもは4日なのですが今年は少々変則的で今日になってしまいました。さて、県の庁舎に行ったとき、「園長」と声をかけられました。見れば園児のお母さん、そういえばこの部署に異動になったと聞いてたっけ。送迎の時にお会いして仕事の話になることがあります。それはそれで新鮮なのですが、こうして実際、仕事中の姿を拝見するのもまた、いいものです。時ならぬ授業参観・・・いえ、お仕事参観でした。
26.1.9
26.1.9
この年齢になると健康関連のテレビ番組が気になります。先日も特集で何やらやっていたのでつい、見入ってしまいました。ひどい肩こり症の私は月に一度のマッサージによって生きながらえているところです。一度でいいから肩こりのない体になってみたい。そしてそれがどんな感じなのかを味わってみたいというのが見果てぬ夢でもあります。テレビを見ながら肩こり度のチェックとか解消のための体操とか試しては見ますが、その時限りで終わってしまい、たくさんの貴重な情報がどんどん洩れていってしまいます。自分で何とかしたうえでのマッサージが効果的なのでしょうが、こんな私にどなたか、救いの手を差し伸べてください。
26.1.8
26.1.8
月に一度の不燃物の回収日、この日を忘れると来月がたいへんです。今回は年末に出たものが山盛りでいつもなら一度に持てるのに今日は2往復しなければならず、息を切らしました。収集場所には年末からお正月にかけて消費したであろうペットボトルや空き缶がたくさんありました。どこの家も幸せなお正月だったのだろうなあとそこからも感じました。普通の日常が普通に展開されることがどれだけ幸せかをこの年になるとしみじみ感じます。たまったごみを整理して改めて気分一新です。
26.1.7
26.1.7
今日は七草、お飾りもおさめられてお正月気分も終わりです。当園では今月の下旬にたかくさっこの会(発表会)が控えているのであちこちから歌声や楽器の音が聞こえるようになりました。とはいえ、基本は普段の生活なので子どもたちにとっては外での遊び、室内でのおもちゃを使っての遊びと同じくらいの臨み方で対応しているようです。行事のための保育にしないということは常に子どもたちが主人公の保育であるということだと思っています。保育士や大人たちの自己満足のものであってはならない、それをきっと心に留め置きながらその日を迎える毎日です。
26.1.6
26.1.6
明けましておめでとうございます。本年もよろしく、お付き合いください。今年はタブレット元年とします。息子が使わなくなったタブレットを一時、借りて使ってみることにしました。とはいえ、何に使うのがよろしいのか、まずはそれから検討しなければなりません。いっぺんにその機能を使いこなすなんて無理。なのでいくつかに限定して使うことにしました。とにかく毎日、立ち上げてみることを宿題としてもらい、そのうちに少しずつ、活用できていけばいいかなと思っています。ならばスマホにすればとの声も聞きますが、基本的に携帯電話は必要不可欠というまでにはなっていないので、ガラケーで充分。いつかはなくてはならないツールになるのでしょうか。乞うご期待。
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